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2011.3.11
東北関東大震災発生から、1週間が過ぎました。

日常日記のほうには書いていたのですが
こちらではまだ書いていなかったので、記録を…。

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2011年3月11日。

あの日私たちは、8:40 成田発ジャカルタ行きのANA便に乗った。

久しぶりの成田第一ターミナル利用やANAの新造機に浮かれながら、現地時間14時過ぎ(日本時間16時過ぎ)にジャカルタに着いた。飛行機を降りるときに、「さきほど、宮城県で地震があったようです」というアナウンスが聞こえた。

飛行機の座席が前方だったので、VISAカウンターとイミグレも5番目くらいと早く、「ジャカルタ入国いいね~」なんて話していて、入国審査に進んだら、「日本がTsunamiで大変だ」と聞く。Tsunami?Earthquakeでしょ?

スーツケースを受け取って、国際線から国内線ターミナルへ移動し、ガルーダのカウンターでチェックインしたところで、また「日本のツナミのことは聞いた?」と聞かれ、知ってると答えた。けど、まさか日本で津波が起こっているとは思いも寄らなかった私たち。「ジシン」よりも「ツナミ」という単語のほうを知っているのだろう、と思っていた。

まだ日本の状況を全くわかっていなかったので、初めてのANA-ガルーダ乗り継ぎの方が気がかりで、出発ゲートを確認することに集中しながら歩いていて・・・

ゲートの前のTVで、東北の津波と、千葉のコンビナート火災の映像を見て、震えた。

インドネシア語の放送だったけれど、「ディズニーランド」という単語が聞こえたので、すぐ近くの我が家も・・・。前に立ってTVを見ていたおじさんが、英訳して色々と教えてくれた。数時間前に飛び立って来た成田空港は、クローズしているらしい。

母や妹の携帯に電話するも、全く繋がらない。ちょうど実家がリフォーム中で、家電は使えない。

とりあえず、出発ゲートに入ってみると、同じくバリ島に向かう日本人の方々がいて、それぞれPCや携帯から得た情報を交換し合った。千葉のうちの実家よりも先に、大阪のMASA実家に電話が繋がり、母から日本の状況を教えてもらった。想像を超える地震の大きさに、不安が募った。

ディレイを心配していたガルーダは、定刻に飛んでくれた。

予定通り20:00少し過ぎにはデンパサールに到着。
スーツケースもすぐに出て、20:20には空港を出た。

空港までは、友達が車で迎えに来てくれていた。

再会を喜びつつも、話題はまず日本の津波のことで、BlackBerryに入れてくれていたニュース動画を見せてもらった。恐ろしい津波の映像。。

本当は、そのまま一緒にどこかに食事に出かけようと思っていたけれど・・・家族の安否や日本の状況を知るまでは安心できないと、すぐにホテルに向かった。

夜中になってようやく母と電話が繋がり、家族の無事を確認した。でも、私たちのマンションがある千葉県浦安市の新町は、埋立地の液状化現象で大変なことになっているらしいと聞いた。東日本は電話回線が混乱していたようで、夜中になって、やっと妹とも電話が繋がり、友達からのメールも一気に入ってきた。

バリ島の穏かな夜と、日本の状況の違いに、どうしていいものか不安になったけど、「せっかく無事に着いたんだから旅行を楽しんでおいで~!」という家族や友達の言葉に、帰るまでは楽しもうと、2人で話し合った。でも、そうは言っても、もちろん不安は消えなかった。余震が続く日本は大丈夫だろうか。

翌日、ホテルスタッフのYさんと会ってお話して、かなりホッとした。
旅先で、頼りになる日本人スタッフさんがいらっしゃったことが、本当に心強い。
今回は新しいホテルに泊まろうかなとも思ったけど
やっぱり気心知れたホテルにして、本当に良かった。。

翌々日は、友達がドライブに連れて行ってくれた。

ジャティルウィのライステラスを見に行ったり・・・
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ブドゥグルの絶景ストロベリー農園で、苺摘みをしたり・・・
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摘んだ苺は、ホテルのスタッフさんにお願いして
翌朝食に、ストロベリージュースにしてもらったり。
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日本のことは心配だったけど
ネガティブになってはいけないよ!という言葉に励まされて、バリ島の自然を満喫した。

帰国して、家に戻って・・・変わり果てた街に、呆然とした。

家は無事だったけれど、液状化で地区の下水道がやられて、少なくとも1ヶ月は水が復旧しない。
うちはまだいいほう。道を一本挟んだ向こうの地区は、家が傾き、未だにガスも復旧していない。
TVであまり報道されないけれど、千葉と茨城も、被災しているところは酷い。
しばらくは、実家で避難生活をすることになった。

スーパーは営業再開できず、近隣の町では既に水のペットボトルやカップ麺が手に入らないと、母から聞いていたので、バリ島のスーパーで、AQUAとPOP MEを買って帰った。うちは2人暮らしだけど、ご近所さんは、小さなお子さんがいっぱいいる。一応、赤ちゃんのお尻拭きも買った。

レジのお姉さんも、「TSUNAMI?」と心配してくれた。機内受託荷物の重量制限オーバー覚悟でスーツケースに詰めたけど、ガルーダの国内線は、ノーチェックだった。ありがたい。(※これからANA-ガルータ利用される方へ。2011/3/14の時点では、帰国便に限り、デンパサールから成田まで、バゲッジスルーになっていました
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首都圏の私たちでさえ、被災で生活が変わってしまった。
東北の人々のつらさは、計り知れない・・・。

でも、明るく、元気に復興に向けて動く人々に助けられながら、時間は進む。
バリ島の人々も、祈ってくれている。

私たちも、頑張ろう! ポジティブに。

早く、安心して暮らせる日々がきますように。


いつもみたいな旅日記は・・・落ち着いたら、また書きます。
by mai-mai1221 | 2011-03-19 22:41 | '11.03 バリ島
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